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【MBP】世界のMJ通信
【自律型で、生きていく】
<2026.4.6号外>
有限な人生において、
人は何を受け取り、
何を遺していくのか
~ベトナムワーケーション滞在記~
本記事は
通常のビジネス記事ではありません。
約1万字の「作品」をお届けします。
読みたい方だけ、お読みください。
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2026年3月17日から4月5日までの
約3週間、家族でベトナムに滞在しました。
それは単なる旅行ではなく、
ワーケーションとして、
仕事をし、
家族と過ごし、
過去と現在を照らし合わせ、
生と死について考える旅となりました。
訪れた場所は
・ハノイ
・ダナンとホイアン
・ホーチミン
ベトナムは10数年前、
夫婦2人での2年間の
世界旅行の最後に
訪れた国でした。
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人生は旅であり、旅は人生である
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これは、
これまで世界66ヶ国を巡ってきたわたしが
原体験の果てにたどり着いた
一つの真理です。
人はどこに身を置くかによって
見える世界も、感じる現実も、
そして「当たり前」の基準も変わります。
だからこそわたしは、
意図的に「環境を変える」ことを
自らの人生と自社の経営における
重要戦略として位置づけています。
拙宅は過去、下記の国々に
ワーケーションで滞在しました。
・2024年タイ(チャンマイとバンコク)
・2025年マレーシアとシンガポール
その際の体験記も
下部にリンク先を記載しております。
ご興味ある方はリンク先よりご覧ください。
【ワーケーション体験記】
▼第1編:旅そのもの▼
・ベトナムの滞在先ホテル
・旅の「利便性向上」と「失われたもの」
・14年前のバックパッカー時代との比較
・海外ワーケーションの可能性
・家族で旅をするということ
・夫婦での対話
▼第3編:旅が突きつける時代認識▼
・東南アジア各国の物価と国力の対比
・日本円が溶けていく
・君たちはどう生きるか
・過去の体験記(キックボクシング、タイ、マレーシアとシンガポール)
▼第4編:死と言葉▼
・人が遺すもの
・私信:メメント・モリ
わたしは「言葉」を扱う商売をしており、
その意味において、
わたしはわたしの扱う
「すべての仕事」が作品であり
アートであると思っております。
今回の「家族でのワーケーション」
という旅も「作品」としてまとめ、
帰国後に発信することを前提に
ベトナムを訪れました。
今回の旅の途中、
かつて「知り合った」人の
突然の訃報に接しました。
あまりに突然過ぎて、
文字通り言葉を失いました。
もともと今回のワーケーション滞在記は
1本の記事にまとめるつもりでしたが、
各編に分けることとしました。
▼第1編:旅そのもの▼
■ベトナムの滞在先ホテル
今回はハノイ、ダナン、ホーチミンと
3つの都市に滞在しました。
今回はいわゆる「修行」も兼ねているため
ほぼすべての滞在を
マリオット系列に寄せました。
【ハノイ】
・ラメジョール(ハノイ旧市街)
・シェラトンハノイウエスト
・JWマリオットハノイ
・シェラトンハノイ
【ダナン・ホイアン】
・コートヤードマリオットダナンハンリバー
・ルネッサンスダナンホイアンリゾート
・マリオットダナンリゾート&スパ
・シェラトングランドダナン
・インターコンチネンタルダナン サンペニンシュラリゾート
・フォーポイントバイシェラトンダナン
【ホーチミン】
・フェアフィールドバイマリオット
・ヴィンパールランドマーク81 オートグラフコレクション
・ルメリディアンサイゴン
・シェラトンサイゴングランドオペラ
元々バックパッカー気質のわたしは
「高級ホテルに泊まりながら旅行する」
というスタイルは、自分には縁遠いと
勝手に思い込んでいました。
それが誤った思い込みであることを
思い知らされたのが
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2024年のタイ
2025年のマレーシアとシンガポールの
ワーケーションです
===================
「高級ホテルは富裕層が宿泊するもので、
自分のようなバックパッカーが
宿泊する場所ではない」という
固定観念に縛られた思い込みでした。
拙宅の家人は、楽しいことや
新しいことを経験するのが大好きです。
わたしは既に、そうした外界への
好奇心が摩耗していることを
自覚しています。
家人がわたしの固定観念を覆す
機会をくれたことを
心より感謝いたします。
今回の上記のプランでは、
ダナンで宿泊した
インターコンチネンタル以外は
日本人的な金銭感覚でも
さほど高くありません。
むしろ東京で、一人でビジネスホテルに
1泊するより安いところもあります。
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人生の時間は有限であり、
人生とは様々な経験をしながら
「感謝」を見つけるゲームであります
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人は(人だけではないですが)
生まれた以上、いつか必ず死にます。
死は誰にとっても避けられないものであり、
いつ死が訪れるのかは
天に委ねられています。
その中で人と人との「ご縁」が生まれ、
共に過ごした時間の記憶が深まっていく。
だから人生は美しいのです。
いいもわるいも含めて、
様々な経験をするのが人生の道程です。
かくいうわたし自身は今回、
「インターコンチネンタルダナン」で
「今の自分の身の丈」にそぐわない贅沢をしたことで
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嗚呼、やっぱり自分は
起きて半畳、寝て一畳の人間なのだなあ
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という感慨を新たにしました。
だからこそ
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すべての経験は財産である
一見は百聞にしかず
一体験は百見にしかず
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の観点に立ち返り
いつか1泊100万円の宿に
宿泊したいと思います。
そのうえで、
「大事なのはお金だけではない」
と言える自分でありたいと思います。
一方、ホーチミンで宿泊した
================
ヴィンパールランドマーク81
オートグラフコレクション
================
ここはマリオットボンヴォイの
プラチナステータスを保有している場合
かなりおすすめです。
マリオットは最近、
カードの年会費も上がるどころか
世界各地のホテルで
プラチナステータスの優遇措置が
劣化していますが、
ここはベトナム最大級の企業グループである
Vingroupの色が濃いこともあってか
ホスピタリティとプラチナステータス向けの
サービスが段違いでした。
せっかく同じお金を払うのなら、
「満足を超える感動」を味わえるような
サービスを受けたいですよね。
お金を払って
不快になる必要など
ないはずです。
洗練された一流のサービスを受けることは、
当社ビジネスの今後の更なる伸長において
大いに参考になる部分がありました。
■旅の「利便性向上」と「失われたもの」
今回も東南アジア旅行では欠かせない
スーパーアプリ、「Grab」を
フル活用しました。
Grabは東南アジアほぼ全部の
主要国を握っているマレーシア発祥、
シンガポールのテック企業です。
配車、フードデリバリー、決済、買い物、金融。
Grabは、東南アジアの
生活インフラそのものになっています。
同社は2018年にUberの東南アジア事業を
買収し、一気に「覇者」となりました。
いいわるいの話ではなく、日本は
・分業構造が強い
・規制が細かい
・既存プレイヤーが強い
以上の理由により、Grabのような
「一社統合型」が成立しにくいです。
これだけでも1記事書ける内容ですが、
「旅」という観点で言うと、
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もはや「困る」ということがほとんどない
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けれどそれは、
何か大切なものが失われていることの
裏返しでもあると思うのです。
かつての「旅」は
・言葉が通じない不安
・ぼったくりとの交渉
・予期せぬトラブル
・道に迷うこと
そうした「不便」と「予想外」がありました。
そして実は、それこそが
「人生と旅の本質」であり、
「人を成長させる」
源泉であったのだと思います。
便利さは我々の生活を豊かにします。
しかし同時に、偶発性や
非効率の中にある
「学びや余白」が
そぎ落とされる。
今回の旅は、宿泊先もeSIMも
あらかじめ整え、
現地ではGrabをフル活用し、
何も困ることのないように
設計しました。
もちろんメールで日本とのやり取りも
瞬時ですし、様々なSNSで多くの人と
繋がっているため、そうしたやり取りも
極めてスムーズです。
それはそれで快適ですが、
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何だか自分が「自由意志」のないまま
ベルトコンベアに乗せられているような
錯覚を覚えるのです
==================
・便利さと合理(AI)
・不便さと非合理(人間)
は分けて考えるべきなのかもしれません。
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「本当のイノベーション」は
人間が起こす「熱狂」の中にしかない
===================
「便利」は「不自由」であり
「不便」は「自由」である
想定外に出会う
「余白」があるからこそ、
人は「自分の意思」で
考えはじめるのだと思います。
■14年前のバックパッカー時代との比較
今回の訪問先で最も衝撃を受けたのは、
ホイアンの時系列での変化でした。
世界2周66ヶ国訪問の
最後の国に選んだベトナム。
ハノイもホーチミンも
ホイアンも訪問しました。
当時のホイアンはバックパッカーも少なく
ランタンの光が静かに灯る
「歴史と文化」が主役の街でした。
今や、ベトナムの国家戦略や
ダナンとの連動による急激な開発と
急成長により、
ホイアンは一大観光地として
商品化・大衆化され、
「インスタ映え」や「TikTok映え」の
必須スポットとして
欧・米・中・韓・インド・日本の観光客で
あふれかえっていました。
特に旧市街エリアは飲食もお土産も、
日本と物価は変わらないか
かえって高いところもありました。
旅にかつての記憶を求めても、
そのときの姿は
追憶の中にしかない。
「いいわるい」の話ではありません。
====================
市場が成熟すれば、必ずそうなる
需要と供給のバランスで市場価格は決定する
====================
という、極めて普遍的な構造です。
企業経営においても同じです。
ブルーオーシャンは必ず
レッドオーシャンになる。
価値は標準化され、
差別化は困難になる。
だからこそ、
人も企業も、常に
「次の未知の領域」に
一歩踏み出し続ける
必要があるのです。
■海外ワーケーションの可能性
今さらわたしのような
「昭和レトロ」な人間が
申すまでもありませんが
今回改めて確信したのは
==============
仕事はどこでもできる時代に
完全に突入している
==============
ということです。
まさに「デジタルノマド」の時代です。
わたしは早朝に起きて2時間ほど
集中してPC作業等を行い、
夜は必要があれば
オンラインミーティングをこなす
というスタイルで
ワーケーション中の仕事を進めました。
Wi-Fi環境さえあれば
日本にいるのと何も変わらない。
むしろ思考の質は研ぎ澄まされます。
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なぜなら日常から切り離され
新しい刺激に囲まれるからです
=================
ここで重要なのは、
「どこで働くか」ではなく
「どんな状態で働くか」
==================
これからの自分の人生や家族の人生
そして当社のビジネスを
どう設計していくのか
==================
この問いは
今回の旅を通じて
より一層深まった問いです。
旅が美しいのは、
「人生」が有限だからです。
そして、人の言葉が
重みを持つのもまた、
「人」が有限だからです。
▼第2編:旅があぶり出した人生の問い▼
■家族で旅をするということ
わたしは「教育事業」に携わる者として
=================
親が子に与えられる最大の「教育」は
共に過ごす「時間」と「体験」である
=================
と考えています。
「日本人ぽくない考え方」かもしれません。
教室の中で学べることには限界があります。
しかし、
・異なる文化
・異なる言語
・異なる価値観
これらに直接触れる経験は
子供の内面に計り知れない影響を与えます。
・現地の人とのやり取り
・英語でのコミュニケーション
・見知らぬ環境への適応
これらすべてが「生きる力」として
徐々に、静かに、しかし着実に
蓄積されていくでしょう。
今回はさいごのまち
サイゴン(ホーチミン)にて
バックパッカー時代も訪れた
「ベトナム戦争証跡博物館」を、
今度は家族で再訪しました。
こうしたところに来るたび
=============
人類歴史から学ばない
=============
という事実を突きつけられます。
わたしが何も言わなくても、
================
人類が犯した人道に対する罪が
それを物語る写真とキャプションが
================
我が子に何かを問いかけます
「君たちはどう生きるか?」
■夫婦での対話
今回は24時間、3週間という時間を
家族で過ごしました。
夜はホテルのラウンジで
妻とグラスを傾けながら
これまでのこと、
これからのことを
対話する時間が十分に持てました。
===============
若い頃のように、
安宿を渡り歩く体力も気力も、
もうあのときと同じではない。
それでも、
未知の土地に身を置きたいという
好奇心は、まだ消えていない。
===============
妻とそんな話をしました。
わたしたち家族は、
1年後に2~3か月の期間で
世界3周目に行くことを
考えておりましたが、
おそらくそのプランは延期になるか、
形を変えて実行することになると思います。
「世界3周」という
物理的な要素に拘って完遂したら、
それはそれで当社やわたしの
ブランディングになるでしょうが、
わたしはブランディングのためだけに
生きているわけではない。
==============
わたしにとって大事なのは
家族やわたしが
楽しく幸せに生きることです
==============
▼第3編:旅が突きつけた時代認識▼
■東南アジア各国の物価と国力の対比
以下は定量ベースの比較です:
・2年前の2024年のタイバーツとの
比較だと、2026年3月時点で
円は約15〜20%下落
・1年前の2025年のシンガポールドルとの
比較だと、2026年3月時点で
円は約5〜10%下落
・14年前の2012年のベトナムドンとの
比較だと、2026年3月時点で
円は約30〜35%下落
拙宅は毎年1回、
東南アジアを訪問しておりますが
==============
毎年毎年
どんどん円が
弱くなっていくことを
肌で実感しています
==============
わたしが「旅」に目覚めた学生時代、
アジア旅行と言えば「安い」という
固定観念でした。
その観点でいくと
「ベトナムも今や安くない」
むしろ、場所やサービスによっては
日本と大きく変わらないか、
あるいは日本より高いこともあります。
以前は
数千円で贅沢に感じていた食事が、
いまはどこか割高に感じる。
これは単なる感覚ではなく、
為替・物価・所得水準という
複数の指標が示す構造的な変化です。
通貨とは何か?
通貨とは
・国の信用
・経済力
・未来への期待
つまり為替は
「国力の通信簿」です。
「盛者必衰の理をあらわす」
これもまた、世界の真理の一つです。
■日本円が溶けていく
日本にいると気づきにくいですが
===================
日本円の価値は
すでに構造的に「下落局面」に入っています
===================
税負担も社会負担も物価も
年々上がるのに、
給料は増えない。
結果として、
海外に出た瞬間に
「割高感」を感じる。
これは明確な警告です。
通貨とは単なる紙ではなく、
その国の「信用」そのものです。
では、その信用は今後どうなるのか。
国家は重要です。
しかし、最終的にあなたの人生そのものを
引き受けてくれるわけではありません。
これは日本だけに限った話ではないです。
わたしはバックパッカー時代に
中東を旅したこともあります。
心温まる出会いや触れ合い、
そして対話があり、
いま、わたしはそのことについて
とても胸を痛めています。
「国家はあなたの人生を守ってくれる
存在ではない」という前提に立ったとき
はじめて、
「どう生きるか」という問いが
「いま、ここ」の現実のものとして
立ち上がります。
■君たちはどう生きるか
===============
あなたは、どこで、誰と、
何をして生きますか?
===============
・生活の基盤を置く国
・資産を守る国
・ビジネスを展開する国
・人生を楽しむ国
これらを一つに固定する時代は、
すでに終わりを迎えつつあります。
こうした現実を前提にしたとき、
わたしたちの生き方そのものも
見直さざるを得ません。
============
国家分散という生き方
============
これは今の時代、
一部の富裕層だけに
限られた話ではありません。
わたしたち一人ひとりが
これからの時代を生きるうえでの
極めて現実的な戦略と思います。
人は「環境」によって
「思考」が規定されます。
だからこそ、
意図的に「未知の環境」に
身を置き続ける。
===============
人生は旅であり、旅は人生である
生きることは学ぶこと
学ぶことは変わること
変わることは生きること
===============
君たちはどう生きるか?
わたし自身もまだ、
その答えを探している途中です。
■過去の体験記
2012年7月
「イラン人の本当の姿」
https://ameblo.jp/55worldjourney/entry-11284521013.html
2013年2月
最後の街、サイゴン
https://ameblo.jp/55worldjourney/entry-11477144544.html
2023年5月
原体験の体験記その4:2022年、真の強者を目指して~キックボクサー体験記
https://ameblo.jp/55worldjourney/entry-12805334267.html
2024年1月
原体験の体験記その5:ワーケーション滞在記(チェンマイ、バンコク)
https://ameblo.jp/55worldjourney/entry-12838400668.html
2025年1月
原体験の体験記その6:ワーケーション滞在記(マレーシア、シンガポール)
https://ameblo.jp/55worldjourney/entry-12884570224.html
▼第4編:死と言葉▼
■人が遺すもの
3月末日、わたしは
今回の家族での旅の途中、
過去に「知り合った」人の
突然の訃報に接しました。
それは、共通の関係者から
SNSを通して連絡をもらいました。
メッセージをみた瞬間
わたしは言葉を失いました。
人は死ぬ。
しかし、何かを遺す。
では、人は何を遺すのか?
人は死ぬ。
しかし、言葉は、
誰かの中で生き直される。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
拙宅はTVを観る習慣がほぼありません。
映画もあまり見ません。
なので、「コロナ劇場」前後に
鬼滅の刃が日本全国で爆裂的に
流行っている社会現象を
認知はしていたものの
これまで観ることなく
過ごしてきました。
ですが、今回は旅の旅程でハノイから
ダナンへの移動に夜行列車を予約しており、
道中は約18時間もあるので
暇であろうということで
電車の中で、家族皆でipadを活用して
「無限列車編」をはじめて観ました。
もっとも心打たれたのは
煉獄さんが最後の戦闘で
命を落とす直前の
亡き母との回想シーンです。
====================
なぜ自分が人よりも
強く生まれたのかわかりますか
弱き人を助けるためです
弱き人を助けることは
強く生まれた者の責務です
====================
母が遺した言葉が、
彼の生を支えていた。
人は死ぬ。
だが、遺された言葉が、
生きる者を前に進ませることがある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
時系列は前後しますが、
わたしがSNSで
「今ダナンにいます」と
つぶやいたところ
ある人(Tさんとします)から
「自分も今、ダナンにいます。
お会いできませんか?」
と連絡をいただきました。
Tさんとは
4年前に一度だけ会い、
再会は4年ぶりでした。
わたしたちは共通の知人である
Sさんを4年前に亡くしており、
Tさんの近況も聴きたかったし、
Sさんを偲びたいと思い、
ダナンでお会いしました。
Tさんからわたしに
投げかけられた問いが
深く刺さりました。
===================
Tさん:自分はSさんと長く深い
時間を共に過ごしてきましたが、
未だに彼が自分に遺したものは
何だったのかがわかりません。
森さんは、Sさんが森さんに
何を遺したのか分かりますか?
====================
わたしの答えはこうでした
===================
森:おそらく「家族を大切にしろ」という
ことだと思います
====================
人は死んでも、
誰かの中で生き続けることがある。
Sさんは、まさに
それを体現した人でした。
■私信:メメント・モリ
以下は私信です:
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あなたは、まさしく
「言葉の人」でした。
他者に衝撃を与えるほどに
圧倒的な存在感を放つ
「言葉の人」でした。
はじめてあなたと
「知り合った」とき、
わたしは
・人間とは何か?
・世界とは何か?
・わたしたちはどこからきて、どこへ向かうのか?
という問いを、
まずあなたに投げかけました。
それまでのわたしは
・他者の人格を否定する
・人間の尊厳を踏み躙る
ことすらも
ある種当たり前のように扱われ、
そのことについて無自覚な人々の
世界観の中にいました。
シンプルに言うと
わたしは「絶望」していたのです。
それもあり、もはやわたしは
あなた以外の人からの「言葉」を
聞きたい状態ではありませんでした。
ゆえに、まずはあなたの「言葉」を
聞いてみたかったのです。
わたしが問うたあと、
あなたは
==============
人間を人間たらしめるのは
記憶と言葉と他者である
==============
と言いました。
わたしはそれまで
「灰色の世界」にいました。
そうしたわたしに
あなたがくれた数々の言葉は、
それまで灰色だったわたしの世界に
はじめて「色彩」を与えました。
あなたとの対話は
「とても楽しかった」
その記憶ばかりです。
わたしは
あなたの言葉によって
無条件に受容され、
「これでいいのだ」と
救ってもらったようなものです。
あなたは人知れず
「不世出の詩人」であり、
「稀代の作家」でもありました。
有形無形の多くの「作品」を世に遺しました。
あなたは、
人間の痛みを、
人間の言葉で、
人間の尊厳へと変えようとした人でした。
多くの人が
あなたと出会えたこと自体に
感謝しているように、
あなたがわたしに伝えてくれた言葉は、
いまもわたしにとって
金言として心の中に残っています。
そして仕事に活かしております。
であるならば、わたしの仕事も、
あるいはわたし自身も
あなたの作品の一部です。
過ぎ去ったときを
巻き戻すことはできません。
しかし、
ハンナ・アーレントが言うように
==================
過去の不可逆性に対しては「赦し」
未来の不可予言性に対しては「約束」
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それができるのもまた、
人間を人間たらしめる営みです。
わたしも過去を消すことはできません。
しかし、それでも、受け取った言葉を
生き直すことはできます。
「わたし」という人間の主体は
これまでに出会った
多くの人、深い経験、
ともに過ごしたときを経て
幾重にも重なり合いながら
「今」があります。
「わたし」は今までもこれからも、
「言葉」を紡ぎ続けるでしょう。
誰かの心に火をつける「言葉」を。
それがわたしの「仕事」です。
「時間」が相対的であり、
観測者による主観的な構造であるのなら
「言葉」は絶対的であり、
時間や空間を超えて人々の間に
いつまでも生き続けます。
もう「会話」はできなくても、
「対話」自体は続くのです。
続けることができるのです。
===================
人生は旅であり
旅は人生であるのなら
人生とは、意味を問い続ける営みであり
旅とは、意味という糸がほどけ
また編み直される営みである
===================
あなたが遺した言葉もまた、
わたしの中でほどけ、
編み直されていきます。
森淳こと世界のMJ


