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【MBP】世界のMJ通信
【自律型で、生きていく】
<2025.5.28号 Vol.013>
宮崎駿「君たちはどう生きるか」の
考察と「人生は旅であり、旅は
人生である」という命題について
株式会社マネジメントバイフィロソフィア
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■<1>MJの近況
■<2>宮崎駿「君たちはどう生きるか」の
考察と「人生は旅であり、旅は
人生である」という命題について
■<3>編集後記&お知らせ
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■<1>MJの近況
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6月以降に本格稼働するクライアント向け
各種人材コンサルの実装に備え、海沿いの
オフィスでひたすら創作活動に励む日々。
雨が降らない日は徒歩1分の海岸に向かって
お昼を食べ、オンライン等の打ち合わせが
なければ一言も話さず作業に没頭できる
日々は、ある種の「観想的生活」であり、
まさにわたしが理想としている
ライフスタイルの一つです。
前回もお伝えしたとおり、わたしは
基本的に「江の島系引きこもり族」です。
特段何もなければ、1日中誰とも話さず
パソコン作業したり、
書き物したり、
本を読んだりしていても、
まったく苦痛ではありません。
そんなわたしですが、
・未知の原体験や
・新しい人と会い、対話することは
「江の島系ひきこもり」よりもよほど
わたしの人生にとって重要です。
なので、その導きに従い、先日、
年の離れた友人たちを湘南藤沢に
お招きする機会を得ました。
今回は、その中で盛り上がった
(というか深まった)テーマの一つである
宮崎駿の映画「君たちはどう生きるか」
についての考察です。
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■<2>宮崎駿「君たちはどう生きるか」の
考察と「人生は旅であり、旅は
人生である」という命題について
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本日のコラムの想定読者:
主対象:「生きるとは何か」を深めたい、
あるいは興味があるすべての読者
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実に様々なテーマで話は広がり、
盛り上がり、そして深まったのですが、
中でも宮崎駿の「君たちはどう生きるか」に
ついて、かなり深いところまで迫る対話を
しました。
以下は、わたしがあの映画をどう観たか?
の主観的な考察です。
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「宮崎駿の遺言」的作品、
人生の総決算として表現された
極めて個人的なファンタジー物語
あるいは宮崎の生涯にわたっての独白記
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・かつて『風立ちぬ』で一度引退を
表明した宮崎駿が、もう一度
つくる意味を問い直した作品
・老いた「大王=大叔父様」が異世界で
世界の秩序を守っているが、眞人に
それを「受け継ぐか?」と問う場面は、
まさに次世代への託宣
・宮崎自身が自ら築いた「創造の王国」を
後にする決意と、それを誰に託すかを描いた
極めてメタフィクション的な物語
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結論:観た人に「問い」だけ残すための映画
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・『君たちはどう生きるか』は、
「答えを与える」映画ではなく、
「意味を問い続けさせる」映画
→明確な答えやストーリーの起承転結はない
・宮崎駿という稀代のアニメ作家が
自らの魂をこめて、ただただ
「君たちはどう生きるか?」を問うた、
芸術としてのアニメの極北といえる作品
・青サギは単なる「キャラクター」ではなく
眞人自身の内面や宮崎駿本人の分身としての
多重的メタファー
→ユング心理学的に言えば「シャドウ」と
「アニマ(無意識の導き手)」の混合的存在
・大叔父様も宮崎の自己投影
→大叔父様は神であり、異世界の秩序を
維持する創造者である
→積み木を重ね合わせて微妙にバランスを
保とうとする姿はある種滑稽であり、
これまで自身が積み重ねてきた仕事を
自嘲気味に振り返っている
→自分が創った世界に固執し、「壊しては
ならぬ」と眞人に伝えるものの、本当に
自分の世界を継ぐことができるのは
その世界を壊すことができる者である
という、死と再生の再帰性的なメタファー
・もちろん眞人も宮崎の自己投影
→眞人はこの物語の主人公だが、
最後に大叔父様に言われて答えた
「答え」が震える↓
→僕は現実世界で友達をつくります。
それは例えば青サギのような。
そのことは、大叔父様が創った世界を
継ぐより大事なことです、と
→そんでもって、インコ大王が
大叔父様が微妙なバランスで積み上げた
積み木をぶっ壊すわけで、大叔父様の
世界も崩壊するが、大叔父様はどこか
嬉しそうな表情を浮かべて消えていく
・「ひみ」は宮崎の実母の投影
→ひみは現実世界では病院に入院している際
焼夷弾で焼死しているが、異世界では
眞人と同年代の少女として、
そして火を扱う者として存在している
→単なる幽霊ではなく、眞人の内なる源泉
=存在の根拠としての母
→ユング的な「アニマ(無意識に潜む女性原型)」
→眞人の旅は「母を求める旅」から「自分の
意思で生きることの選択」へと移行する
→眞人とひみがそれぞれの現実世界に戻る際
眞人がひみに「でも君は現実世界に還ったら
火に焼かれて死ぬぞ!」というが、
→それに対しひみは「平気さ、火に焼かれる
くらい。眞人を生むことに比べたら」と返す
→涙腺崩壊ポイント
・眞人の父は「眞人の気持ち」が分からない
典型的な現実適応者としての描写
→自分の妻、すなわち眞人の母が焼死して
ほどなく母の妹と再婚
→眞人が全然求めていないのに転校初日に
車で眞人を送り付け、同級生から顰蹙かう
→眞人が自傷した際も眞人の話を全然聞かず
犯人探しに躍起になる
→でも根が悪い人ではない
→異世界から帰ってきた後、眞人は父の元へ
→「父の世界を否定したままでは
生きられない」という現実への回帰
というわけで様々な角度から書こうと思えば
いくらでも書けますがこの辺にしておきます。
ただただ宮崎が、自分の人生物語をすべて
開陳して「では、君たちはどう生きるか?」
を問う、その一点にテーマを定めた物語。
と、わたしは解釈しました。
わたしがそんな感想をいだきました、
という話をさせていただいたので、
その後は「生きるとは何か」
「人生は旅であり、旅は人生である」
というテーマで盛り上がった次第です笑
結語:「先生」とは、
「先に生まれた」の意味だけではなく、
「先にその道を生きる者」の意味でもある。
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では、企業の人材育成にはどのように活かせるか?
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これからの時代、ますます「唯一無二」の
正解を探すのは難しくなっていきます。
となると、「誰かから与えられる答え」を
待つばかりでは、企業の生息領域や
事業はどんどんシュリンクしていきます。
そうした前提において、今回の宮崎駿の
映画「君たちはどう生きるか」は
まさに「問い」そのものだけを残し、
「答え」を探すための旅に出るのは
自分自身である、というメッセージは
極めて洗練され、かつ潔さの極致である
と感じました。
自ら「問い」を立て、立てた「問い」を
あとから振り返り、「自身の歩んできた
道のりは決して間違いではなかった」という
答えにたどり着けるかどうかは、
ひとえに問いを立てた人にかかっています。
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それは経営トップであっても、
新入社員であっても同じです。
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誰かに「問い」を立てさせる、
誰かに「答え」を与えられるのを待つ、
という現状の延長線上のアプローチでは
「唯一無二の正解」にたどり着くのは
難しい時代と言えるのかもしれません。
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■<3>編集後記&お知らせ
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今年の上半期に、当社も含めた複数社で
離島リトリートの企画を予定していましたが
諸般の事情およびプロセスを勘案し、
今回、当社は参画を見送ることにしました。
結果は残念ですが、出会いがあれば
別れもある。そして何より、人間誰しも
仕事よりも大事なものはある。
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それは果たして、「あなた」にとって何でしょうか?
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ご縁がさらに繋がって深まれば、
当社としてもそうしたイベントに
再度本格的に取り組みたいと思います。
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「本物のマネジメント人材」を育成する7つのステップ